出口王仁三郎

出口 王仁三郎(でぐち おにさぶろう、1871年8月27日(明治4年旧7月12日) -1948年(昭和23年)1月19日)は、新宗教「大本(おおもと)」の二大教祖の一人。

 

肩書きは「教主輔」、尊称は「聖師」。もう一人の教祖(肩書きは「開祖」)は、出口なお(直)。

 

 

 

 

 

出口王仁三郎年譜

  • 1871年(明治4年)8月 - 京都府亀岡市で上田喜三郎として誕生。

 

  • 1896年(明治29年) - 穴太精乳館・上田牧牛場を開業。

 

  •  1898年(明治31年)
    • 3月 - 高熊山で一週間修行、神秘体験をする。
    • 4月 - 静岡県稲荷講社に長沢雄楯を尋ね、霊学と鎮魂帰神法を学ぶ。
    • 10月 - 京都府綾部の出口なおのもとを尋ねるも、初対面は不調に終わる。

 

 

  •  1899年(明治32年)
    • 7月 - 再び綾部を訪れ、なおに憑依した「艮の金神」の審神を行う。
    • 8月 - 金明霊学会を組織する。大本の原型。

 

  • 1900年(明治33年)1月 - なおの五女・すみと結婚。養子婿となり出口王仁三郎と改名。

 

  • 1902年(明治35年) - 大阪天王寺に一万坪の大阪本部設置計画を建てるも、幹部の妨害で頓挫。

 

  • 1906年(明治39年)9月 - 教団を離れ、皇典講究所教育部本科2年生に入学。

 

  •  1907年(明治40年)
    • 3月 - 建勲神社の主典となる。
    • 12月 - 伏見稲荷山御嶽教西部教庁主事に就任。

 

  •  1908年(明治41年)
    • 3月 - 御嶽教大阪大教会長に抜擢。
    • 8月 - 金明霊学会を大日本修斎会に改名。
    • 12月 - 御嶽教を辞職。

 

  •  1916年(大正5年)
    • 4月 - 金明霊学会を皇道大本に改名。
    • 12月 - 浅野和三郎が入信。

 

  • 1918年(大正7年)11月 - 開祖・なおが逝去。大本二代教主輔となる。

 

  • 1919年(大正8年)12月 - 植芝盛平が大本を訪れ鎮魂帰神法を学ぶ。翌春入信、王仁三郎側近。

 

  •  1921年(大正10年)
    • 2月 - 第一次大本事件。不敬罪、新聞紙法違反で逮捕・検挙される。
    • 10月 - 京都地方裁判所で懲役5年判決。控訴する。霊界物語口述開始。

 

  •  1924年(大正13年)
    • 2月 - モンゴルに出国。馬賊と共にモンゴル独立を目指して活動する。
    • 6月 - 張作霖により処刑されかけるが、日本領事館の介入で救出される。
    • 7月 - 日本に帰国。京都府拘置所に移送される。
    • 11月 - 釈放される。

 

  •  1925年(大正14年)
    • 5月 – 世界宗教連合会設立。
    • 6月 - 人類愛善会設立。

 

  • 1927年(昭和2年)5月 - 天皇崩御の大赦令で第一次大本事件免訴。全国を巡教する。

 

  • 1928年(昭和3年)3月3日 - 56歳7ヶ月で「みろく大祭」を実施。

 

  • 1929年(昭和4年)10月 - 朝鮮・満州を布教旅行する。

 

  • 1930年(昭和5年)5月 - 宗教博覧会開催。

 

  • 1931年(昭和6年)10月 - 昭和青年会を全国的な統一組織に改組する。

 

  • 1932年(昭和7年)6月 – 昭和坤生会(婦人部隊)を結成する。

 

  •  1934年(昭和9年)
    • 3月 - 人類愛善新聞、100万部発行を達成。
    • 7月 - 昭和神聖会を結成。総帥となる。

 

  • 1935年(昭和10年)12月8日 - 第二次大本事件。治安維持法違反等で逮捕され、徹底弾圧を受ける。

 

  • 1940年(昭和15年)2月 - 京都地方裁判所にて無期懲役判決。

 

  •  1942年(昭和17年)
    • 7月31日 - 第二審で不敬罪により懲役5年判決。治安維持法違反は無罪。
    • 8月7日 - 保釈される。京都府亀岡に戻る。

 

  •  1945年(昭和20年)
    • 9月 - 不敬罪の控訴審棄却される。
    • 10月 - 敗戦による大赦令により不敬罪消滅。
    • 12月 - 大本を愛善苑として発足させる。

 

  • 1948年(昭和23年)1月19日 - 逝去。