預言

王仁三郎は鎮魂帰法を広めた霊能力者であるが、病気治療という点では民間療法の域を出ない[371]

 

その半面、時代に対する予知と警告に関しては突出した力を発揮する[372]

 

彼は言霊学の権威であり、言霊を利用して度々予言を行った[373]

 

明治末期 - 大正初期の『いろは歌』『大本神歌』『瑞能神歌』にアメリカ合衆国との総力戦(太平洋戦争)やB-29爆撃機による空襲を示唆する予言がある[374]

 

大正8年5月の京都日出新聞に京都府警と王仁三郎の応答が公開され、王仁三郎は世界大戦で日本が占領されると述べる[375]

 

第二次大本事件における裁判(昭和13年8月10-11日)でも、戦争で外国が東京を攻める・東京は空襲を受けてススキノになると証言し、公判記録にも残っている[376]

 

他に1921年(大正10年)の原敬首相暗殺、関東大震災も予言した[377]

 

特に関東大震災は、なおの筆先に「東京は焼け野が原になるぞよ」との文章があり、相乗して王仁三郎と大本への熱狂的支持に転化した[378]

 

1931年(昭和6年)9月8日、「10日後に事件が起こり神界の経綸が実現の緒につく」と述べ9月15日に柳条湖事件が勃発、さらに「西暦1931=皇紀2591はイクサハジメ・ジゴクハジメ」と述べていたため、大きな反響を呼んだ[379]

 

王仁三郎は日本軍・右翼団体・中国宗教界と親交が深く、事前に情報を得ていた可能性がある[380]

 

また王仁三郎に超常的な力があると信じた陸軍参謀が、満州支配に王仁三郎の力を利用しようと『文藝春秋』昭和7年1月号で公言したこともある[381]

 

王仁三郎は度々警察に拘留されたが、第一次大本事件や蒙古遭難事件では126日間拘束されている[382]

 

大正10年2月12日に拘束され、蒙古事件後の7月26日に収監されるまで1260日であり、このため大本事件をヨハネの黙示録になぞらえる珍説もある[383]

 

ただし王仁三郎も霊界物語第36巻余白歌で「千二百六十日の間月汚す六百六十六匹のけもの」と詠い、別の著作でも獣の数字について言及した[384]

 

1942年8月7日に仮釈放された際、「わたしが出た日から日本の負け始めや」と家族に語った[385]

 

同日、米軍はガダルカナル島に上陸、ガダルカナル島の戦いが始まる[386]

 

尋ねてくる者に様々な予言を行った[387]

 

「昭和暦十八年の元旦は 五十年準備の充てる日にぞある/昭和十八年の年より三千年の いよいよ経綸の幕は上がれり」と詠い、早くから日本の敗戦を予言[388]

 

「大本は日本の雛型、日本は世界の雛型。日本がやられて武装解除されれば、いずれ世界も武装解除される」と述べる[389]

 

広島市への原爆投下やソ連軍の満州侵攻、千島列島台湾の領土喪失も警告[390]鈴木貫太郎総理大臣について「日本は鈴木野(すすきの)になる」「日本はなごうは鈴(つづ)木貫太郎(かんだろう)」と冗談にした[391]

 

予言が的中したことに感嘆する者も多かったが、弟子に「ワシは、神さんの予言が中らぬよう中らぬようと努めてきたのやが……」と嘆息している[392]

 

本当の火の雨はこれからとも語る[393]

 

側近によれば、次の大戦は中東が導火線になる宗教戦争と告げ「原爆を投下させない為に死後も活動する」と述べた[394]

 

王仁三郎の危機的予言は「みろくの世」という理想世界が出現するにあたって起きる大変動(大峠)を比喩したものであり、王仁三郎の活動により、大難(ノアの洪水)のような大災害を、小難(飢饉・病気・戦争)という人類の力が及ぶものに祀り変えて乗り切るという終末と再生観である[395]

 

また戦争に関するものだけでなく、携帯電話リニアモーターカーなど未来技術についても言及している[396]

 

予言は多くの人を惹きつけたが、同時に詐欺師や邪教という非難の要因ともなった[397]

 

松本健一は「カリスマを予言者、救世主、超能力者とみるのは、その支配圏内の信者たちである。

 

しかし、その支配圏外にいるものにとっては、かれは山師、大ほら吹き、精神異常者としかみえないのだ。」と論じた[398]