宗教家としての評価

出口王仁三郎は自らを日本神話素戔嗚尊になぞらえたが、トリックスターという点で良く一致する。

 

系譜的には古神道に属し、平田篤胤本田親徳、長沢雄楯、大石凝真素美らの影響を受けた。

 

王仁三郎の特徴は、古神道や言霊の知識を活用し、現実社会に大きな影響を与えた点にある。

 

そして地方民間宗教にすぎなかった教団を国家規模の大宗教に育てたカリスマ的組織者となった。

 

新宗教大本は土着の民間信仰の集大成であると同時に、救済の対象を「世界・全人類」に広げた世界宗教としての性格も持つに至る。

 

メディアを活用した布教方法と、信仰と政治が結びついた活動方針は、創価学会などの新宗教にも影響を与えた。

 

雑誌『別冊歴史読本』が1993年に出版した「日本史を変えた人物200人」の中で、近代宗教家の中で大谷光瑞と共に2人だけ選ばれているが、その大谷も王仁三郎を高く評価している。

 

また講談社『日本史をつくった101人』でも人間的魅力や芸術の才能を考慮され、新宗教部門で選ばれた。

 

半面、意図的に言動や態度をはぐらかすことも多く、常識では計り知れない人物である。

 

敵味方から「怪物」と賞賛(批判)されることも多かった。

 

戦前の影響力は凄まじく、国会議員や陸海軍将校への影響力を危険視されて大本事件を招き、特に1935年の第二次大本事件により大本は一時期壊滅する。

 

 

この事件における第二審裁判では、高野裁判長に対し『人虎孔裡に堕つ』(人間が虎の穴に落ちた時どうすべきか。逃げても、立ち向っても、じっとしていても、虎に食われ所詮助からぬ。しかし、一つだけ生きる道がある。食われるのではなく、こちらから食わせてやる。食われれば何も残らぬが、食わせれば愛と誇りが残る)という禅問答を残している。

 

宗教家・王仁三郎の力量と真髄を象徴する逸話とされる。

 

高野は「大本の教えは、宇宙観・神観・人生観・社会観に対し理論整然たる教義である」と評価した。

 

また敗戦後に弁護団が国家賠償訴訟を起こそうとしたところ、国民の窮乏を考慮して損害賠償権を放棄した事も、王仁三郎の真価を示したと言える。

 

また、王仁三郎(大本)は分派が多いことでも知られる。

 

第一次大本事件当時の大本筆頭幹部浅野和三郎心霊科学研究会(現在日本スピリチュアリスト協会)を結成し、その思想は近藤千雄江原啓之といった多くの心霊主義者に影響を与えた。

 

他に谷口雅春生長の家友清歓真神道天行居岡田茂吉世界救世教真光系諸教団)などが代表例である。

 

璽光尊(長岡良子)璽宇にも大本系の人脈が関わった。

 

王仁三郎の側近植芝盛平が創始した合気道も、宗教団体ではないが王仁三郎の影響を強く受けている。

 

梅棹忠夫は「大本は教祖づくりの教団」と評している。