昔の合気道

戦前の教え方は説明がなかった。弟子が質問出来なかった。投げっぱなしだった。

 

昔は、教わった事は秘伝で秘密だった。

 

斉藤守弘談

 

 

 

武器技は夜稽古が出来ないので朝稽古でやる。朝起きてまず神様の前に座り、40分正座をしてから稽古になる。これは内弟子だけの稽古。

 

吉祥丸先生も藤平先生も阿部正さんもみんな剣や杖の稽古をやった。

 

必ず合気道の説明は剣から始まる。最初の頃の剣の稽古は、「打って来い」と言うだけ。

 

鍛錬打ちの台で木刀を打ち込む。腰と腕の鍛錬、打ち込みの鍛錬。大きい気合をかけないと怒られる。

 

稽古が進み、「一の太刀」を教えられた。これだけで三、四年、他に何も教えない。毎朝の稽古はそれだけ。

 

 

参照  続 植芝盛平と合気道

 

 

当時の稽古の激しさは、「喧嘩で殴られて負けた方がよほど楽だろう」と思ったくらいだという。

 

「いっぺん膏薬を貼っていったら、大先生に叱られてね。だから道場に行く前に剥がし、稽古が終わると急いで風呂へ入ってまた貼った。痛いところがあるような顔をしていると、かえって痛いところを攻めてくるのです。」

 

中略

 

開祖の岩間における教授法は戦前に比べるとかなり異なっている。戦前は説明なしに技を2、3回やってみせ、弟子たちがそれを真似るという方式であった。

 

これがいわば伝統的な武道教授法であり、弟子たちは師範のは座をいかに”盗む”かに全力を注いだのである。しかし、戦後の稽古では、数人の愛弟子を相手にひたすら事故の武道探求に全力投球する盛平だった。

 

中略

 

稽古になると、大先生は今までまとめてきた技をおしえるのだけど、まるで整理、整頓をしているっていう感じだった。我々にひとつの技を教えると、それに関連した技ばかりやる。座り技が始まったら座り技ばっかり。

 

たとえば両手掴み技をやると、つぎも同じ掴みから始まるという具合に。先生は技を2、3、4と段階的に教えてくれた。型でこうなると、こうなって最後には、こうなるんだ、とね。先生は「一分一厘でも狂っては技にならない」と言われた。

 

門弟が少なかったこともあるが、大先生は必ず一度は弟子を投げてくれた。先輩が先生に稽古をつけてもらっている間、我々はそれを見ながら自分の番がくるのを待っていたものです。

 

そのようにして先生はいつも一対一で稽古してくれたからね。

 

武産合気道 基本技術編Ⅰ 第一巻 

合気会9段 斎藤守弘 合気ニュース 28項

 

 

大先生は、一時期、道場生が剣や杖を使うことを非常に嫌われた。やってはいかんと怒られた。その後、教えられるようになった。

 

多田宏談