合気道の歴史

大正9年に「植芝塾」だいたい18畳の道場を綾部に建てる。

主に内省的な自己鍛錬の修業道場。

 

合気という言葉を言い出したのは、大正11年(1922)

 

合気武道という名前は、出口王仁三郎が付けた。

 

大正15年頃から昭和の初めにかけて、植芝流合気柔術とか、合気柔術とか、合気武道などと言われるようになる。

 

昭和6年(1931)東京に皇武館

 

合気武道時代(昭和7年<1932>頃から約10年間)の植芝先生の技は、すでに大東流の技から離れていた。

 

昭和10年前後、関西の中井氏に剣や杖、槍、体術を習い、相当な影響を受けた。

 

昭和23年2月9日付で、財団法人皇武館会が財団法人合気会として文部省に認可。

 

岩間でやっているような剣は昭和30年前後から本格的にやりだした。その前はほとんど体術。