隙があったら打て!

先生はいつも鉄扇を持ち歩いています。なんでも武田惣角先生からいただいたものなのだそうです。

 

汽車に乗ると、先生がその鉄扇を私に預けて、こう言うのです。

「ワシに隙があったら、いつでもこれで殴ってきなはれ。もし殴れたら、あんたに十段をやろう」

 

そして、お年寄りらしく、座席の上に正座して、そのまま眠りこんでしまいました。寝息をうかがっていますと、本当に先生は眠っているようです。

 

しめしめ、と私は思いました。今ならいくら先生でも気づかないでしょう。いつでも殴っていいと言われたのだから、眠っていても関係ないはずです。

 

これで十段はもらった、と思って私が今まさに鉄扇を打ちこもうとしたとき、先生がカッと目を開きました。私はビックリして、ピタリと動きが止まってしまいました。先生は微笑みながら、

 

「今、夢の中に神さんが現れてな、塩田が叩くぞ、塩田が叩くぞ、と教えてくださったんじゃ」

 

そんなことを言ってまた眠りにつくのです。私は何度かやってみましたが、やはりどんなときでも先生は気づくのです。本当に不思議だと思いました。

 

塩田剛三対すれば相和す 合気道修行

竹内書店新社 186項

 

槍が当たらない!?

これも竹田での出来事でしたが、ある検事が先生を訪問されて、四畳半の部屋で歓談されている最中に、弟子の一人に真槍で思い切り突かせました。

 

その時先生は羽二重の紋付を来ておりました。四畳半の狭い部屋の中で間合いも極めて小さく、それも思い切り突かせるのですから、体の開きも速やかに行わねばなりません。

 

突くのと開くのと同時でしたが、槍先が先生の袂に当り袂の端が切れヒラヒラと舞いました。

 

先生の奥様がご覧になっておられ「もう止めてください」といわれましたのでその稽古はそれで終わりましたが、先生の表情は少しも変わらず、日頃の温和なままで

 

「どんなに早く突いてもわしの体には当たらぬ。槍の方で避けてくれるのや」

 

と言われました。

 

凡人でない先生だからいえる言葉であり、普通の人ならば串刺しでした。このような話は枚挙にいとまがありません。

 

合気道人生 竹内書店新社 著 塩田剛三 78項

 

特殊な電気感覚

私は植芝先生のお伴をしてどこでも行きました。いま一つ植芝先生の人と違ったところは、人一倍感覚が鋭く、電気を非常に感じられ、いやがられました。

 

当時は国電のことを省線といっていましたが、目黒の大川周明先生の道場に行くのに決して省線には乗らずに市電(後の都電)で行かれました。

 

市電の方が電力が弱いせいか響かないそうで、抜弁天から角筈に出て(当時は乗り換えも切符一枚でどこまでも行け、電車賃は七銭)乗り換えて四谷塩町に行き、また乗り換えて魚藍坂まで行き、さらにまた乗り換えて目黒に行ったのです。

 

お伴をする方は大変で、稽古着と木剣・短刀などを持ち後を追って行かねばなりませんでした。一時間半以上かかりました。

 

省線でしたらその半分以下の時間で行かれるのに拘わらず、あえてそうされるものですから、大川周明先生の道場に行くお伴は全く大変でした。

 

合気道人生 竹内書店新社 著 塩田剛三 79項

 

 

開祖がスリに遭った話

ある日、私が先生のお伴をして市電に乗っていた時、私は気がつきませんでしたが、スリが先生の懐の財布を狙っていたのです。

 

先生は必ず和服で洋服はほとんど着られなかったので、先生が懐に手を入れているのを私は知っておりましたが、何をしているのかわかりませんでした。

 

電車が角筈に着いた時、先生は「あなた十銭おちましたよ」と一人の男にいわれました。

 

その十銭は、先生が自分でわざわざ落としたものです。私は不思議でたまりません。何の縁もない人間に金をどうしてやるのか、判然としなかったので先生に訪ねてみました。

 

先生は、「折角取ろうとしたのに取れなかったから、わしはあたえたのや」とこともなくいわれましたので、はじめてあの男がスリだったのかと気がつきましたが、スリもさぞやつらかったことと気の毒な感じにもなりました。

 

合気道人生 竹内書店新社 著 塩田剛三 79項

 

開祖は怪力だった!?

内弟子の湯川勉氏は大力で、仰向けに寝て片手で石臼を楽に持ちあげられるほど、その腕力は抜群でした。

 

ある日、その湯川氏が合宿先の庭にあった直径十センチくらいの木を一生懸命抜こうと顔を真っ赤にして頑張っていましたが、根が深いと見えて中々抜けませんでした。

 

これを見ておられた植芝先生は、「湯川、なにをしておるんや、ちょっとかしてみい」とつかつかと木の傍に寄られ、ぐっと抱えると木はヒョイと抜けてしまいました。

 

これにはさすがの湯川氏も兜をぬぎ、「先生にはかなわぬ」といいました。

 

あまりに簡単に抜かれたので、私も同じような木に試してみましたが、どうしてどうしてビクともしませんでした。

 

地に根が生えたという形容通りでした。

 

先生はそのように凡人ではなく、世間では産神(うぶすなのかみ)といわれた通り、人間わざでは到底できぬことをやられる方でした。

 

合気道人生 竹内書店新社 著 塩田剛三 77項

 

 

開祖は怪力だった!? 2

四十代の頃と思われるが、三十人で動かせない大木を一人で動かされたことがあったという。それを実際に見た多くの人がいる。

 

昭和三十六年(1961年)に御来熊の際に、御食事のあと雑談に入った折に、筆者が翁にお尋ねしたのである。

 

「大先生(翁のこと)が三十人で動かせない大木を、お一人で持ち上げられたとのっことですが、どのような状態でしたか」と。

 

翁は、爪楊枝を持たれて、

 

「このようなものだった」

 

と言われたのである。

 

爪楊枝を持つように軽かったということである。これは翁に霊がかかって力を貸されたのである。霊力で大木を持ち上げられたのである。

 

合氣道で悟る たま出版 著 砂泊諴秀 90項

 

鉄砲が当たらない!?

昔、砲兵官が植芝道場へ合気道を見に来たんです。彼らは鉄砲を撃って、銃身が右に曲がっている左に曲がっているなど検査をするんですが、そういう連中がニ五人ほど連れて見学に来ました。

 

植芝先生は演武を見せた後、「わしゃ鉄砲は当たらんのじゃ」と言ったんですね。そうしたら彼ら怒ったんです、彼らはプライドがあるから。

 

「本当ですか」と後で詰め寄ってきて、「それじゃあ先生一筆書いてくれ」と。「私は鉄砲で当たっても死んでも何とかかんとか・・・」と書かされて、そして大久保の射的場に連れられていきました。

 

それはピストルだったんですけど、五人ですよ、五人でニ五メートル離れたところに的があるわけです。それがピストルの一番の射程距離だそうです。

 

そこで五人が並んでそして植芝先生がニ五メートルの所に立ってそれに向かって一斉にバーンとやったんです。そうすると一人がぶん投げられて先生が後ろに来ちゃった。

 

「こんな馬鹿なことがあるか。もう一回やらせてくれ」といったけれども二回ともやられちゃったわけ。で、先生は笑っている。

 

中略

 

あの大本教の出口王仁三郎と一緒にモンゴルに行ったときも、王仁三郎の用心棒のようなことをしておりました。闇討ちをされた経験があるそうです。

 

最初に金の玉のようなものが飛んできてシューと音がするそうです。それをパッと避ければ、「その後から弾丸は来るから当たらんのや」とおっしゃった。

 

高岡英夫の極意要談 編・『秘伝』編集部 39項

 

開祖は雨に当たらない!?

いま、アメリカで合氣道を教えている千葉氏から直接聞いたことである。

 

和歌山県新宮市の熊野神社のお祭りのとき、翁が奉納演武を行うことになっていた。

 

その日は生憎の大雨で、演武の舞台が野外にあるので、雨の止むのを待っていたが、なかなか止みそうにないので、翁は、雨の中をやろうと舞台に出られて演武を始められた。

 

ところが、演武をやっているその舞台だけが雨が止んで、太陽の光が射したのである。

 

千葉市はそのときのことを、祈りの力は驚くことであると、その奇跡に感じた思いを話されたのである。

 

合氣道で悟る たま出版 著 砂泊諴秀 91項